英 霊 の 遺 書

これから書き写すのは新潟県出身の英霊の遺書。戦地に赴く時最愛の肉親に宛てた英霊の
遺書です。
これを私が読むのは2度目です。1度目は何年か前でした、2度目は新潟県護国神社の社報
「ときわ」の中でした。
この遺書は靖国神社社頭に掲示されたものです。かの大戦の善し悪しや、靖国神社のあり方の
功罪はさておき、我が新潟県出身の若干26才の若さで散った若者の遺書の紹介です。
私と同じ建築士です。きっと大志を抱き、色々な素晴らしい建築物を創造する事を夢見て
いた事でしょう。平和な世の中ならきっと叶えられた夢でしょう。
そんな若者達が大勢、明日の平和を心に描き、残された人達の幸せを願い、国の為に
あたら若い命を散らして逝ったのです。
こんな悲惨な事はもう決して起こしてはいけない事です。
戦争は勿論、あの若者達が命を賭けて残して呉れたこの日本を、そして日本の将来を、
残された私達は本当に大事にしているのでしょうか?あの若者達の尊い思いを私達は受け継いで
来て居るのでしょうか?
私個人としては忸怩たる気持ちを消し去る事は出来ません。
大きい事をしなくても、直ぐにでも誰にでも出来る事が沢山有ります。生き物に優しく、
人に優しく、地域に優しく、地球に優しく。そして森羅万象の原理を理解し、怖れて謙虚に
生きる事。今更ながらそんな生き方を心掛け様と思いました。

是非皆様もご一読下さい

陸軍伍長  島 田 美 好 命

昭和20年フィリピン.ルソン島にて戦死

新潟県出身  26歳

泣 か ず に ほ め て

お母さん 永々のお世話感謝します
私もいよいよ国家のため お役に立つ時が参りました
私は赤紙を受けし日より すでに吾が身は大君に捧げて
仙台部隊に入隊した私です
男と生まれこんなうれしい日はありません
一旦召されたからには生きて帰る事なく第一線に出陣し
死を覚悟して行きます
万が一戦陣で散った時 父母をはじめ兄妹なかよく
幸福に暮らすことを草葉の陰より見守ります
私 建築士の職務上 兄上の部屋を改築し喜んで戴いた事
なによりの置き土産だと思ひます
父母 兄弟に告ぐ 白木の箱が届いたら泣かずにほめて
下さい
父母さまへ    島田美好